蘆江怪談集読了

 幻の怪談本ということで、どの程度のものかと思って読んでみたけど、バラエティに富んでいて、どの作品も面白かった。これは怪談好きなら『読まないと損する』レベルの必読書だろう。収録作の中では『空家さがし』『火焔つつじ』の二編が特に出色だと思う。
 巻頭作の『お岩伊右衛門』はご存知四谷怪談をあっさりと書き換えたもので、銭ゲバヤンデレ女として描かれたお岩様が悪霊となるまでを描いているが、生きている時も十分怖いのがどこか可笑しい。。
『空家さがし』は幽霊屋敷をめぐる探索物語……、と思わせつつ、終盤にお化け話よりも奇妙な男女の運命を描き出すちょっと一筋縄ではいかない作品。貸家にやってきた女が見た怪異の正体は合理的に説明されてはいるが、果たしてそれが正解なのか。女とその恋人の抱えていた事情やその末路を考えると、女が見た怪異と恋人たちの運命はどこかでつながっているようにも思える。
『怪談青眉毛』は序盤で百物語に関する怪談と思わせつつ、荒物屋の美しい女房をめぐる奇怪な物語へとシフトしていくあたりやはり一筋縄ではいかない。この話で出てくる幽霊画は登場人物たちの運命を予見するような存在だったが、『火焔つつじ』など他作品でも怪異は運命の予知めいた現象として描かれていることが多い。怪異の出現が運命の予兆として描かれるのも蘆江怪談の特徴のひとつと言えるだろう。
『二十六夜待』は、解説にもある通り、原話がちくま文庫『鏡花百物語集』収録の『向島の怪談祭』に載っているが、筋自体はほぼ同じ。しかしこちらは出現する怪異のディティールが細かく描写され、ビジュアル的なインパクトが強くなっている。『火焔つつじ』の鮮烈な炎の幻視など、怪異描写のインパクトの強さ、絵としてのイメージがはっきり頭に浮かぶところも蘆江怪談の特色のひとつと言えよう。
鈴鹿峠の雨』もまた鏡花百物語集に原話が収録されている。これはもう鏡花百物語集を買うしかないね。実話をもとにした創作というのも蘆江怪談の特色のひとつであり、元ネタと創作を読み比べるのも楽しみのひとつだろう。
『天井の怪』は箸休め的な作品だが、こういうのがあることで作品集に上手くメリハリがついていると思う。
『悪業地蔵』『縛られ塚』はどちらも妄執漂う因縁の物語だが、実話である悪業地蔵を元ネタに『縛られ塚』を執筆したと明記されており、これまた実話と創作について興味深い資料を提供してくれている。言われてみれば同工異曲の物語だと気づくが、中心人物の性別が変わることで物語の印象は大きく変わっている。
『うら二階』
お化けが出る家を舞台にしたいわゆるジェントル・ゴースト・ストーリー(優霊物語)的な一編だが、登場する怪異が行った善行はあくまで生前の無念にもとづいて行動しただけで、怪異は生者と相互にコミュニケーションが取れる存在としては描かれていない。一家の妻も怪異を不気味に想う気持ちは最後まで捨てておらず、安易なファンタジーに堕さずに生者と死者の境を感じさせる部分が怪談としてすぐれた佳作だと思う。
『投げ丁半』
わけアリの男女が一夜を過ごすうちにただならぬ雰囲気になっていく様子を描いた作品。この作品でも怪異の出現は予知めいた現象として描かれているが、結末の男女の対比的な様子にはどこか苦笑いが浮かんでしまう。
『大島怪談』
後半出現する怪異の描写も不気味だが、前半の自殺を考えていた語り手が、自殺を考えていた語り手が自殺を思い止まった途端に自殺者に出くわすという死の伝染とでもいうべき数奇さも気味が悪い。この辺りの相乗効果が一見シンプルな怪談を印象深いものにしていると思う。
『怪異雑記』
あとがき的な粋なエッセイ。つくり話に対するツッコミが多いのが笑える。文末の『人の口から口へ伝へられる怪談といふものは、一人が一人へ話す度に、いろいろな訂正が加えられ、尾ひれがついて、おもひがけなく面白い話になるものだと思ふ』という一文は怪談の本質をよく表わした名言だと思う。