すあまの様な感触

 まんがタイムラブリー4月号を読みましたが、誌面からどんどん4コマ漫画が消えてて驚く。4コマ漫画誌からストーリー漫画誌に移行しそうな勢いだけど、需要的にはどうなんでしょう。まあ最悪山本ルンルンの漫画が載っていればそれでオーケーだしラブリーがなくなってもコミックエールかなんかに移籍すれば……と思ったらコミックエールの方が先に休刊決定していたというオチがついていた。しかしこの号で私が好きな「ポンチョ!」はまんがタイムスペシャルに移籍、「夜明けのダンディー」は連載終了ともう本当に読むところが「あさぎちゃんクライシス!」くらいしか無くなりつつある。
 「いとしのフェルナンド」はフェルナンドさんの相方イザベルが「誰かに認められたい」気持ちからドツボにはまっていくお話。イザベルの状態がどうであろうと黙々と炊事掃除をこなすフェルンドさんには萌えた。ドツボにはまったあげく、しょうもない詐欺にまで引っかかってしまったイザベルはフェルナンドの起こした奇跡によって立ち直るわけですが、毎回フェルナンドの起こす奇跡はあくまで受け取る側の心の持ち方次第、というところがあると思う。前回のニコルの話も「結局まっとうに行動すればすべて上手くいった」ってオチだったし。
 あとこの日は東村アキコひまわりっ」10巻を購入。健一レジェンドというサブタイトルは有名無実化、ウイング関レジェンドになりつつある。しかし東村アキコとか羽海野チカとか女性誌で活躍してて青年誌でも描いてる漫画家の単行本を女性向け漫画コーナーに「だけ」置く本屋がたまにあるけど男性向けコーナーにも置いておくようにしてくれないものか。探しにくいから。

それと10日の日記後半の続き。
Q5 創作怪談と実話怪談
 なんかキナ臭い話題ですがさらっと。小説にせよ、体験談という体裁にせよ怪談という括りで提供される物語は「本当にあった話」を体験者なり取材者が語るという形式のものが多く見受けられる。そこで語られる物語が本当にあったことなのか、まったくの作り話なのか、それとも事実と虚構が入り混じったものなのか、受け手としては話の内容から判断するしかない。まったくの虚構であっても怖い話はあるし、逆に実話で体験者が本当に怖かったといっても聞き手にとってはちっとも怖くない、という話もある。実話、創作、どちらにせよ重要なのはその内容が受け手にきちんと伝わることだろう。怖い怖いといくら語り手が煽っても、それが受け手に伝わらなければ何の意味もない。作中の体験者が感じた恐怖や不思議さを受け手まで伝える技術こそが創作であれ実話であれ怪談には必要なのだと思う。幽怪談文学大賞やビーケーワン怪談大賞の選評で「体験者が怪異に反応せずスルーしてしまってる」ってツッコミがよく入るけど、怪談においては実話創作を問わず体験者のリアクションを伝達することで恐怖なり違和感なりを伝えるのが一番わかりやすいやり方なのかもしれない。