ゲームの話とか

 セブンスドラゴンはモロに世界樹2D版という印象。まだデビルサバイバー2周目をメインでやってたりはしますが、悪魔引継ぎがあるんで一気に7日目まで到達。2周目エンディングを見たらセブンスドラゴンに本格的に移る予定。アツロウルートはCOMPを使ってすべての悪魔を制御しよう、という「それは盲点だったわ」という視点が面白いんでエンディングには期待したい。メガテンシリーズはマルチエンディングではあってもロウエンド:秩序による支配が確立されるが世界は停滞、カオスエンド:力こそ正義の世界が生まれる。ニュートラルエンド:神も悪魔も滅ぼして人間の世界を作る、でまとまってるようなとこがあったんでこういう毛色の変わった展開はもっと増えてほしいところ。

 それはさておき今月末くらいに東雅夫『怪談文芸ハンドブック』が出るそうで、購入しようとは思ってるけど、この手の本は漠然と読んでもあんまり役に立たないだろうから、自分なりに第一部 怪談をめぐる七つのQ&Aの問いについて考えてみようと思った。

Q1 怪談の定義とは?
 と聞かれたらどんな答が返ってくるか。自分だったら幽霊とかが出てくる怖い話、みたいに答えると思う。幽霊を始めとする怪異、あるいは怪現象が起こる(あるいはそういうものに遭遇したと思い込む)、という要素は怪談における必要条件だろう。しかし怪談=怖いとは限らない。怖くない、笑える怪談、泣ける怪談というものも実際にある。では幽霊などの怪異が出てきさえすればそれは怪談とは言えるのか。他のジャンル、ホラー、SF、ファンタジーといったにもそういう要素を含むものはいくらでもある。では、そうしたものと怪談とを分けるものは何か。それは怪異に対する態度の違いだと思う。SFであれば怪異は新しい驚きをもたらすものだし、ホラーであれば怪異は現実を侵食し恐怖をもたらす畏怖すべき存在、といった態度で扱われるだろう。では怪談において怪異はどのように扱われるものなのか。その答えは『わからない』だと思う。答が考え付かない、という意味ではない。怪談において怪異は『わからない』もの、『ありえない』とか『腑に落ちない』物事として扱われるべきものだと思う。『わからない』怪異について語る話、それが怪談なのだと思う。
 Q2 怪談に特有の魅力とは?
怪談とは『怪』を『語る』ことだと思う。だとしたら怪談の魅力は『怪』と『語り』にこそあるのだと思う。『怪』の部分、怪異の怖さ、不思議さ、といった部分も怪談の魅力として重要だとは思うが、怪談では『語り』の部分、怪異についてどのように語るかということがそれ以上に重要だと思う。小説であれば、小説という形式にある程度縛られるものの文体や人称、語り手の視点によって怪異の印象は大きく変わってくるものだし、実話怪談であれば、体験者の肉声を生々しく伝えようとするもの、あえて主観を控えドライに描くことで怪異を読者に疑似体験させたり、と著者の狙いによって語りの形式は大きく異なってくる。いずれにせよ、怪談の魅力とは怪異、あるいは怪異に託した物語を『いかに語るか』という『語りの魅力』なのではないかと思う。
 Q3 ホラーと怪談の違いは?
ホラーと怪談を明確に分けるはっきりした境界線というものはないだろうし、ホラーの魅力を含む怪談、怪談の魅力を含むホラーというのもあるわけで両者を厳密にジャンル分けすることは不可能だと思う。しかし、それでもあえて両者を分けるポイントを考えるならば、現実とか日常に対する怪異との距離の取り方、その辺にホラーと怪談の差が出てくるのではないかと思う。個人的にホラーは怪異に現実が侵食されることで日常と断絶する恐怖を描くもので、怪談は怪異の出現で日常と非現実の境が曖昧になる不安を描くものという感覚がある。またホラーであればエンディングで主人公が死んだりあっちの世界にいっちゃうのもアリだけど、怪談では主人公は現実・日常サイドに踏みとどまったまま物語は終わるべきだという気がする。怪談は語り手によって語られるものであるから、語り手はこっち側に踏みとどまっていてほしい。なんていうか実話怪談で語り手が幽霊でした、とか発狂してました、ってオチだったらみんなツッこむでしょ?という感じ。怪談は現実の人生に踏みとどまっている者の口から語られるべきものだと思う。

……というところでひとまず終了、発売日までに残り4つの問いに答えられるかは不明w