俺のてのひらレビューパート3と見せかけてストレートど真ん中

あと2話で電王も終わりですね。新ライダーキバはやけにマッチョなのが気になります。あんまり吸血鬼っぽく見えない。

だんだんめんどくさくなってきたてのひらレビュー3回目。

吉田悠軋「通夜」

この作品の前に掲載されている「仮通夜」に続いてばあさんのイメージが強烈ですね。死者のモノマネをするというのが異様です。口寄せとか霊媒といった設定にしなかったのは後半の展開故でしょうが、通夜の晩に死者の物真似なんかやったら怒られるんじゃないか、とちょっと思いました。けれどもそんな婆さんの異様さ、悲しむ親族の描写が不穏な状況を盛り立てていて素晴らしい。語り手の居場所が階段の中程というのもその立場を暗示していて巧い。

梅原公彦「大好きな彼女と一心同体になる方法」

登場する怪異は可愛くて微笑ましいのに、語り手はキモい糞人間というのがポイントでしょう。怪異よりも人間のほうがろくでもない。女の子の死因は示されていませんが、このキモメンが殺した可能性が高いのでは。ひどい話ではありますが、語りや描写がユーモラスで陰湿さはないので、からっとした悪趣味さを楽しむことができました。

漆原正貴「いのち」

この話の語り手はおそらく死にそうな生物を見分ける能力を持ったスタンド使いでしょう。なんかサイコ野郎っぽいので見えるモノの正体に気づいた以上は、いのちのかたまりを手に入れる為に誘拐や殺人に手を染めたりすると思います。そして吉良吉影のような殺人鬼になるのでしょう。これも語り手がキモい話ですね。

秋山真琴「弔夜」

改行のない作品ですが、読みにくくはありませんでした。百鬼夜行めいた雰囲気で面白かったです。登場するキャラのネーミングとかキャラ造形はラノベ臭いけど、印象に残りました。

散葉「散歩にうってつけの夕べ」

タイトルが秀逸。読み終えた後で誰にとっての『散歩にうってつけの夕べ』なのか考えさせられます。ありがちな田舎の縁日のようであって、実際には鬼市めいた怪しげな集まりであることをさらっと示しているのも巧い。最初落ちていた紙幣が二千円札だったというのもある意味怪異だ。

山村幽星「影を求めて」

散策子とお姐さんの間にあった交流とか想いといったものがほとんど文章から伝わってこないんで、思い出の女とか言われてもあんまりピンときませんでした。情緒的だったり、雰囲気で読ませる作品とは徹底的に趣味が合わないかもしれない。

神森繁「不思議なこと」

おばあちゃんがガキっぽくて萌えた。この話で起こっている怪異はおそらくスタンド攻撃でしょう。地中には鏡以外にも聖人の遺体が埋まっていて鏡を山から持ち出すことが出来れば聖人の遺体をゲットできるのだと思います。面白い話でしたが、××山というネーミングはなんとかしてほしかった。

五十嵐彪太「狐火を追うもの」

少年が狐火に魅入られ段々と異界に引き込まれていく様を感じさせる文章の流れがいい感じです。少年の心理描写もどこかリアリティがあって巧い。女の子を助けたと思ってほっとした後に突きつけられるラストの怪異もインパクトがありました。

立花腑楽「夏の終わりに」

夏の終わりそのものが怪異と化したような強烈な作品でした。ただ大男のビジュアルはちょっといただけないかも。ちゃんと夏を感じさせるデザインにした方が絵としては引き立つような気がします。コート着てるおっさんが必死に自転車漕いでる姿は様にならないと思うし。

うどうかおる「グラマンの怪」

怪異は起こっていないのですが、語り手の体験は怪異に遭遇した以上に強烈でしょうし、自分の体験した事がほんとうにあったとは思えない、という感覚は間違いなく怪談に通じるでしょう。正直この作品が怪談かというと、怪談じゃないとは思うけれど、作品の中で吐露される語り手の心情は怪談としか言いようがないのです。

粟根のりこ「カツジ君」

冒頭でどこか抜けていそうな語り手のキャラクターがさらっと示されているのが巧い。三十になってスイカの半分完食に挑戦するようなバカだから、爺さんの名前を忘れていても不思議ではないと自然に思わされます。語り手以外の登場人物もどこかすっとぼけていて、ほのぼのと味わい深いお話でした。

酒月茗「町俤」

喪われたモノを偲ぶ話、ではありますが、昔は良かったと言われても今更昔に戻れるかっていったらそうもできないし、戦争がなくったって町の光景なんてどんどん変るもんじゃないの、という気がします。薄汚い町であっても親しい人達がいれば、そこは住む人にとって思い入れのある場所になっていくでしょうしね。いずれにせよ古き良き町の姿は人の記憶に留めておくしかないのでしょう。

諸般の事情により1個飛ばします

駒沢直「風呂」

これは怪異の出現した後の語り手のリアクションが面白い。アトラクションそのままに愛想を振りまくミッキーマウス。出現したものがミッキーだけに怖がったりはしないけど、裸を見られるのを恥ずかしがったりミッキーを流したら世界中から怒られそうだ、と心配する語り手の心理が可笑しい。状況はシュールなんだけど語り手のリアクションは変に地に足が着いている。そのギャップが面白かったです。

別水軒「鏡」

明らかな創作の目立つてのひらには珍しい実話怪談テイストの一作。色々と話の背景を説明をしなければならず、実は八百字には不利な実話テイストのネタをコンパクトにあますことなくまとめています。親父の行動はDQNっぽいけど、実話怪談はDQNがいないと話が成り立たないようなとこがあると思う。

井上優「踏み板」

こちらも実話テイストの作品。音を鳴らすだけの可愛い怪異かと思ったらけっこう暴力的な奴ですね。怖い目に遭いながらも上手く怪異と付き合おうとする夫婦の姿は興味深いけど、下駄箱を撤去した後にカラーボックスと夫婦人形を置いたというのがよくわかりません。魔よけってわけじゃなさそうだけど……。

井下尚紀「狐がいる」

他愛ないけれど、不思議な怪異が印象深く描かれていました。作品に描かれる語り手の心情はどこかリアリティがあって実話っぽいテイストもあります。不思議なことというのは唐突に一回だけ起こるからこそ不思議なのでしょう。

小栗四海「ディアマント」

最後の二行でネタが台無しになっているような印象があります。この作品に限らず、なまじラストで怪異に対する解釈をつけて『腑に落ちる』話にしてしまったためにお話として通りは良くなっても怪談としての魅力を落としてしまった作品は多いと思います。この辺は自戒を込めて。

林不木「シミュラクラ」

タイトルはインチキ心霊写真でよく引き合いに出される、3つの点が集まった図形が人間の顔のように見えるというシミュラクラ現象から取ったのでしょうか。女の子の言うことを真に受け、霊がいるとびびって逃げ出すアホ学生の姿は、シミュラクラ現象に過ぎないインチキ心霊写真の鑑定を間に受けるアホなオカルト好きと重なるかもしれません。

崩木十弐「怖いビデオ」

見た者に不幸をもたらすビデオの存在は怖いけれど、兄と弟の記憶の食い違いはもっと怖い。冒頭の母親の描写もかなり気味が悪い。全編を通して不気味で怖い話なんだけど、八百字の中で大映ドラマも真っ青な勢いで怒涛のような不幸が襲ってくるのは見方によってはほとんどギャグかも。