俺のてのひらレビューパート1

あけましておめでとうございます。

唐突ですが廃ブログを再生して「てのひら怪談2」の全作レビューをすることにしました。最後まで続くかはわかりませんが。

クジラマク「赤き丸」

不気味なモノのモチーフとしてピエロはありがちだけど、そいつが赤い鼻をあちこちにスタンプして回るというぶっとんだ展開には驚きました。実際にその光景を思い浮かべるとかなり気持悪い。主人公が直接体験した物語ではなく、終わってしまった事件の現場を見たり、ビデオの映像を通したりと怪異に対して間接的にしか出逢っていないことで情報が制限されていることも想像を掻き立てる上でプラスに働いていると思います。さらに語り手は一応安全圏にはいるのだけれど、ピエロ軍団はいつか直接語り手のもとにあらわれるかもしれない。そんな不安もあって怖い。しかも大人はブリーフ一丁だし。

岩里藁人「シャボン魂」

もの悲しくて切ない話ですね。少年の視点から描かれた話ですが、シャボン玉を吹いていた少女は少年のことをどう思っていたのか。命を吐き出すかのように生まれ、はかなく消えるシャボン玉を少女はどんな思いで少年に見せていたのか。最後に少年に届いた鮮烈な、禍々しい赤いシャボン玉。確実に死に向かっていたであろう少女の側の物語を考えると切ないだけの話でもなく、けっこう悪意に満ちてるような気もします。

根多加良「呼び止めてしまった」

初読時は単純に健一がノブに見えたというのは、ノブが健一の殺人を告発していてそれ故に健一の表情が変ったのかなとか思ったんですけど、タイトルを見る限りそれはなさそうですね。様々な解釈ができそうな終盤の異様な展開も気味が悪いですが、主人公とノブの関係が説明されていないのに「復讐しなきゃならない」こと、ゲタゲタガハガハと変な擬音で延々と笑い続ける健一など、作品世界そのものがどこか壊れているところが一番不気味です。

阿丸まり「水恋鳥」

改行空白の多い作品ですが間延びした雰囲気はありません。水恋鳥に関するエピソードがばあさんの話へ転化し、語られてはいない不幸な母親の哀切な息子への愛情を浮かび上がらせます。短いながら隙がない、でも確かな余韻がある。これは良い作品です。

都田万葉「未練の檻」

ラストに至るまでの語り手の揺れ動く心情が描写を通して丹念に描かれているのが素晴らしい。やや文章が装飾過剰なきらいはありますが、ラストの語り手の心変わりが唐突でなく必然に思える段取りの巧さが見事です。

宮間波「深夜の騒音」

いまいちどういう状況なのかよくわかりませんでした…。怪異の出現とともに語り手を包みこむ状況までが異界化していくような不気味さがあってマンションや家の窓に見えた明かりすら怪異の一部のようにも思えてしまいます。曖昧で不気味な雰囲気はいい感じですけれど、怪異に対する描写をもうちょとはっきりして欲しいきらいがあります。

狩野いくみ「赤地蔵」

守り神である地蔵が災いを成すものを退治した話、のはずなのに顛末の凄まじさがむしろ地蔵の方が禍々しい存在ではないかと示唆する展開が面白い。地蔵というモチーフは子供や病人を守り、救う存在である一方で実際に見るとどこか不気味な存在なので話にもマッチしています。ただラスト三行は地蔵悪玉説に傾き過ぎていて、やや蛇足な印象も。

高橋史絵「石がものいう話」

市井の人々のざっくばらんな解釈が示されていることで上手くラストが相対化されています。周氏の生死ははっきりと書いてありませんが、四肢を燃やされて五体不満足にはなったけどリュウマチの痛みはなくなったわけで、石の霊験が一応あったと示されているのが面白い。

暮木椎哉「阿吽の衝突」

お母さんの怪異に対するあっけらかんとした解釈が魅力的な一作。狛犬というモチーフは可愛くていいんだけど、語り手が母親の解釈を聞くまでは「見てはいけないものを目撃した」とけっこう怖がっていることを考えるともっと不気味なものをモチーフにしたほうがよりラストの母親の解釈も引き立つかと思わなくもないです。

白ひびき「石に潜む」

登場するアイテムは魅力的ではあるんですけど、それを活かしきれてないというか振り回されているような印象があります。鳥と魚、どちらを選ぶかが話の軸ならアイテムの設定に凝るよりは何故鳥を選ぶと死に、魚を選ぶと生き残れるのか、その辺の示唆に重点を置くべきだったのではないでしょうか。

君島慧是「デウス・エクス・リブリス」

八百字という字数の中に豊穣な小世界を現出させた傑作。八百字文学の魅力を人に伝えたいならまずコレを読ませろ!と言いたいくらいの作品ではあるんですが、怪談としてのツボみたいなものはほとんどないですね。ジャンルの外縁ギリギリ的な作品を評価する懐の広さが審査側にあるのは良いことだとは思いますが、怪談のコンクールである限り「怪談」であることを書き手は意識すべきなんでしょう。

田辺青蛙「幽霊画の女」

下品で面白かったです。主人公である兄貴は弟を愚鈍と評していますが、兄貴の方も相当な馬鹿野郎ですね。すずめ煮て絵の具作ってるし。幽霊画をネタにした怪談なら不気味な作品になりそうなものなのにこんなアホ話にしてしまったのは素晴らしい。

松本楽志「厄」

悪夢めいた公園を本当に探検させられているような語りかけと話の流れが気持ち悪くていい感じです。最後の着地点も実際に自分が厄を押し付けられたような嫌さがあります。鉄管子さんは誰かに立体化してほしい。

行一震「もんがまえ」

これはスタンド攻撃っぽい話ですね。開の字が闘に変っていると気づくところでゴゴゴゴゴと擬音が流れていそうです。主人公の女性はエレベーターから出る時には別人みたいな顔になっていると思います。髪型もありえない髪型になっているでしょう。あと、この作品は怪談というよりは奇妙な味というか、ややホラー寄りな印象があります。

仁木一青「のぼれのぼれ」

これもどこかスタンド攻撃っぽいですね。怪異への対処方法がわかっているから恐怖はないんだけど、怪異の正体がわからないから不思議さは残る。怪異への対処を担当する小池君が怪異についての推理とかいった余計なことを言わないのもいいですね。ラストの一文もなんか可愛い。

牧ゆうじ「灯台

序盤は平凡な建物のように見える灯台の様子がだんだんとクローズアップされるにつれおぞましい本性を表していくという流れがいいですね。ただ、中盤の「もしかすると、からはじまる語り手の灯台についての推理は唐突すぎるし、話の流れを切るだけでマイナスにしか働いていないという印象が。

有井聡「磯牡蠣」

実はあんまりピンときませんでした。怪異の描写も巧いし、人間の嫌な面を見せる展開も面白いのですが、実話怪談には割とありそうな話という印象が。語り手のどこか良心が壊れたようなキャラ造形も最近の実話怪談の流行りっぽいかも。

間倉巳堂「白髪汁」

老人のサイズに対して白髪の量多すぎね?おそらくヒゲや陰毛もかなり混じっているのではないでしょうか。味噌汁に白髪が入ってるだけでも嫌なのにねちっこく味噌汁の中味と悪臭の描写が続いていて心底気持悪かったし、それだけに妙にリアリティがあるのがさらに嫌です。

金子みづは「焼き蛤」

いい話だとは思うけど、親戚のおばさんも語り手もその母も死んだ父親があらわれたことについて驚いても怖がってもいない事にちょっとひっかかりを感じなくもない。お父さんの在りし日の姿や残された妻や娘の愛情も感じられて文章も構成も巧いけど、怪談というより単なる思い出話に近い気がする。

添田健一「食卓の光景」

帰ってきた死者が自分の死に気づいていない。それに対して死者が死んでいることを悟らせまいと生前のように振舞う家族の姿が細やかに描かれているのがいいですね。突然出現した怪異に出逢ってしまった者はそれに対しどう接するのか、それを描くのが怪談のツボの一つだと思いますが、この作品はそこをさりげなく説得力ある形で描いているのが素晴らしい。ラストの目玉焼きの黄身がふたつあるというささやか過ぎる奇跡とそれに対応する「大いなるもの」という大仰な表現のギャップもどこか微笑ましいです。